学校教育が学びをダメにしていないか?

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「最近学校教育が学びをダメにしていないか?」という疑問があります。

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「学び」と「勉強」の違い

自分は「学び」と「勉強」というのは違うことだと思っています。

「学び」とは、自ら主体的に学びたいと思って学ぶこと。

「勉強」とは、誰かに言われて、やらされていること。

このように思います。

 

他の人の考えをいくつか抜き出してみます。

 

・「勉強」はいわゆる、学校でのお勉強です。
あるいは、資格を取るためにテキストを読んだり、 暗記をしたり、問題を解いたりする行為です。つまり、具体的な目的のために学ぶこと。

・学び」は、人間能力を高めることです。
もっと大きな課題、人生をいかに生きるか。人生の目標はいかにして達成されるのか。夢を叶えるためにはどのような習慣をもてばよいのか。といった、人生を成功させるための手がかりを探る旅です。

井上裕之ブログ 本気で行動する人へのメッセージ: 「学び」と「勉強」は違いについて・・・より)

 

「勉強」という言葉にはもともと「学習」という意味は含まれていませんでした。たとえば、中国語にも「勉強」という言葉がありますが、辞書をひいて意味を調べてみると「①無理をすること」と「②もともと無理があること」の意味しかありません。日本においても、明治20年代に「学習」の意味で「勉強」が使われるようになるまでは、「無理をすること」と「もともと無理があること」の意味以外で使われることはありませんでした。商売で「「これ以上まけられません」という意味で「勉強しておきます」と言われることがありますが、それ以上の意味をもった言葉ではなかったのです。「勉強」という言葉が「学習」を意味するようになったのは、おそらく明治20年代以降です。欧米文化一辺倒の明治の学校の学習や受験のための学習には「無理がある」という意味で「勉強」という言葉が使われたに違いありません。その「無理」がいつのまにか当たり前になってしまったのが、「勉強」に象徴される日本の学校文化であると思います。その「勉強」から子どもたちが大量に逃走しています。もう二度と「勉強」の世界へと子どもたちが立ち戻ることはないでしょう。

私自身は、「勉強」と「学び」との違いは、<出会いと対話>の有無にあると考えています。「勉強」が何ものとも出会わず何ものとも対話しないで遂行されるのに対して、「学び」はモノや人や事柄と出会い対話する営みであり、他者の思考や感情と出会い対話する営みであり、自分自身と出会い対話する営みであると思います。

「学び」とは、モノ(対象世界)との出会いと対話による<世界づくり>と、他者との出会いと対話による<仲間づくり>と、自分自身との出会いと対話による<自分づくり>とが三位一体となって遂行される「意味と関係の編み直し」の永続的な過程であると、私は定義しています。

これまでの「勉強」は、教科書と黒板とノートによる「座学」であり、脳のシナプスの結合でした。何者とも出会わず何ものとも対話しないで、ひたすら教師の説明を聴き黒板と教科書を読んで理解し記憶するのが「勉強」でした。 座学によって教科書の知識を習得する「勉強」は、プラトンが描き出した「洞窟の神話」に譬えることができます。「洞窟の囚人」が洞窟の壁に映った影を現実と見誤って認識したように、教科書と黒板に映し出された知識を習得している子どもは、現実の世界の知識を学んでいるのではなく、教科書と黒板に映し出された知識の影を情報として習得しているに過ぎません。この壁を克服するためには、道具や素材や人によって媒介された「活動的な遊び」を教室に実現する必要があります。

「学び」から逃走する子どもたち (岩波ブックレット)より)

 

・勉強は無媒介的な活動であるのに対して、学びは道具や他者とのコミュニケーションによって媒介された「活動」のことである。

・「勉強」は静的な印象ですが、「学び」は動的な印象です。

「学びの快楽」。 勉強と学びの違い : 病院家庭医を目指して ~野望達成への道~より)

 

 

学びは主体的なもの、勉強は嫌なもの

ここで、ある程度共通のこととして、学びは主体的なもの、勉強は嫌なものということがあります。

学びは自らの知的好奇心、知りたいという欲求から生まれるものですが、勉強は受験・試験と行ったその時のためだけが目的になっているものです。

 

 

学校は勉強をさせている

学校というのは、基本的に勉強をさせる場になっています。

中高大で多少の違いはありますが、試験・受験・単位といったものを目的として、勉強をさせています。

 

その時々のテストを目的としているから、多くの人にとって勉強は大変なもので、キツいもので、嫌いなものです。

 

 

学びの楽しさに気付いた瞬間

自分には、学びの楽しさに気付いた瞬間があります。

それが、学びの目的が試験・受験・単位以外のものに変わっ瞬間です。

 

それが様々なNPOでの活動などを通して、もっと知りたいという知的好奇心を持つようになりましたし、自分がこうなりたい、活動・社会をこうしていきたいというような、今までと違った大きな目標を持つようになったことです。

やらされているという、外発的な動機ではなく、内発的なやりたいという動機が生まれたのです。

 

 

学校にはそれがない

現在の学校教育で、生徒の目標にさせていることの多くは、試験・受験・単位といったもので、先生・親からの外発的動機以外を生徒が学ぶ動機になるものは少ないです。

だからこそ、キャリア教育のような生徒に学びのための内発的動機を生むためのプログラムがもっと生まれることが必要です。

 

 

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