傷つけたれた者こそが、我々に救いをもたらしてくれる 『「助けて」と言える国へ』

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脳科学者の茂木健一郎さんと牧師でありながらNPO法人北九州ホームレス支援機構を運営している奥田智志さんの対談本「助けて」と言える国へ ──人と社会をつなぐ (集英社新書)を読みました。

 

社会が社会から外れた人に「助けて」と言えるようにすること

社会の普通から外れてしまった人をどう包摂していくかということが今必要なのではないかと思っていて読んでみたのですがとてもいい一冊でした。

 

なぜ今社会から排除された人たちがいるのか、社会を構成する一個人としてどうしていくべきかを考えさせられる一冊です。

 

 

健全に傷つくことができる社会へ

・新しいことに挑戦するよろこびこそが、自分を変え、社会に貢献するきっかけとなるのである

・苦しい時に、「助けて」と言えないような社会では、人は、安心して新しいことに挑戦することはできない。

・私たち一人ひとりが、本当の意味で元気になるためにも、社会の中の助け愛の精神が「安心基地」とならなければならない

・自分を認識することは、人生の最終的な目標とすら言える大切なものだけど、それは”自己”と”他者”を見てが学習するものです。

・他人と出会うことを恐れてはいけない。時に傷つくからこその絆である。そして、苦しい時には、お互いに、「助けて」と言ってよい。

・弱いもの、傷つけたれた者こそが、我々に救いをもたらしてくれるというものだというキリスト教の概念。そういった概念がヨーロッパの共助の文化になっている

・社会というのは”健全に傷つくための仕組み”

・自己責任社会というよりも、無責任社会が問題だったかもしれない。個人に責任を負わせることによって社会の責任を無責任かしたということが最大の問題で、社会全体が無責任化しているということです。

・日本は傷つかない社会になったのです。というか、傷つくことを極端に避ける社会になってしまった。

・”無縁社会”の対概念というのは”安心安全”だと思っている。

・なぜ無縁の状態にするのかというと、結局、自分の安心安全をとにかく守らないといけないものとしているからでしょう。

「傷つけられたものこそが、我々に救いをもたらしてくれる」という概念が日本人にはあまりないもので自分もあまりそのように考えたことがなかったので非常に印象的でした。

 

 

できないことに寛容になる

・現代社会は他人の”できない”に対して、不寛容になっている部分が随分ある気がします。

・非正規雇用で炉所に押し出された若者に頑張って正規雇用の道に戻れという道しか示せない社会ではなくて、もっと多様な幸福や生き方を見出せる社会とは何であるか考えています。

・本当の成熟社会というのは、一人で立つことと、共にいることが両義的、同義的なはずですから、本当の喧嘩はガチンコでしょう。

・喧嘩なき社会が優しい社会かというと全然違う。それは冷たい”無縁社会”です。

”多様性が認められるようでいて、あまり認められていない”それが今の社会の現状としてあります。

実際にここであがっているホームレス問題や不登校の問題、他にもニートなどの様々な社会問題に繋がっていると思います。

 

普通は存在しない

・恐らくどんなシステムを作っても、必ずそこに合わない人が出てくると思います。だからとりあえずその状況を受け入れるしかありません。

・「道から外れてしまった」と嘆く子供を測り直すと、違うものが見えてきたりする。

・現代社会が行き詰まっているのなら、その社会から排斥された人、アウトサイダーになった人が何を感じ、何を考え、どのように生きようと思っているかを聞いたら、そこに何か新しいものが見えるのではないかという期待があります。

・今日社会が必要としている悔い改めは、方向を変えるということです。

・普通があると思い込んでいて、しかも普通に生きることが正しいと思い込んでしまう。そこから外れた人は規格外だとか落第者だと思い込んでいる人たちのやんでいる感じが、学校に蔓延している気がします。

・空気を読みすぎて苦しんでいる。それで、その空気は何なのかというと”普通”なんです。

・アメリカのカルチャーでは、生き方の多様性を認めていて、それが権利として認められている。

 

顔が見える支援を

・本当の支援は顔が見えないとできない ・よかれと思ってやっている分、こちら側も凄く傷つく。でも、出会いや絆というものはそこから始まるのです。

これは昨日読んだこの記事にも繋がっていると非常に思いました。 子どもを支援する前に知っていて欲しい実状-ランドセルの寄付は換金された?支援者と現場のミスマッチ / ひみつ基地

顔が見える関係だからこそ、その人の本当のニーズが見える訳ですし、ネットでここまで情報が知れるからこそ大切にしていきたいことです。

 

生きる意味を問う

・縁が切れて孤立するとき、人は働く意欲をなくし、金とも縁が切れる。

・金がないから無縁になる一方で、無縁になったから仕事ができなくなり、金がなくなったということもあるわけです。

「労働は社会参加」であるとよくいいますが、労働という社会参加をなくすことでお金がなくなり、社会参加がなくなるため、無縁になり助けを求められなくなる。 これが日本社会の問題の大きな原因だと思います。

ネットの活用と身体性

・今日ではネットへのアクセス権が基本的人権の一つだと思う。

・情報がないことによって起こるニーズの不認識こそが再貧困状態であると言えます。

・ネット社会を充実させると同時に、生身の人間がぶつかっていく部分をどう担保するか、具体的な出会いへと私たちを導くようなネットの活用が必要だと思います。

・あらゆる関係には責任というものが伴ってくると思っています。肉体を伴わない情報は軽く、無責任なものが多いと思っています。

 

「弱いもの、傷つけたれた者こそが、我々に救いをもたらしてくれるというものだというキリスト教の概念」を知り、欧米のNPOの発達の原点にはこのような概念があると知りました。

よく欧米の寄付文化がここまで発達しているのは、キリスト教の文化があるからと言いますが、この概念も欧米の寄付文化に大きな影響を与えていると思います。

 

そして”絆は傷を含む”ということが本書では何度も出てくる言葉で、最近自分もよく感じることでした。 本気で人と関わるからこそ、嫌なことがあるし、大変なことがある。

だけど、本気で関わるから、助け合うことができるし、色々ないい部分が見えて、いいことがある。

この傷だけを避けているのが、現代社会の無縁社会・個人化社会だと思います。

 

「助けて」と全ての人が言える社会にはなるにはまだまだ長い道のりだし、どうしていけばいいか分からない部分がたくさんありますが、そのための大きな示唆を与えてくれる一冊です。

 

購入はこちらより出来ます。

 

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