「憲法で国は変わらない」 『だから日本はズレている 「ポエム」じゃ国は変えられない』

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古市憲寿さんだから日本はズレている (新潮新書 566)の書評記事の3つ目です。

この本は『「リーダー」なんていらない』『「クール・ジャパン」を誰も知らない』『「ポエム」じゃ国は変えられない』『「テクノロジー」だけで未来は来ない』』『「ソーシャル」に期待しすぎるな』『「就活カースト」からは逃れられない』『「新社会人」の悪口を言うな』『「ノマド」とはただの脱サラである』『やっぱり「学歴」は大切だ』『「若者」に社会は変えられない』『戦わなくても「革命」は起こせる』『このままでは「2040年の日本」はこうなる』の12章に分かれて、それぞれのテーマについて書かれています。

その3章である『「ポエム」じゃ国は変えられない』について書いていきます!

 

「ポエム」じゃ国は変えられない

・オリンピック招致に限らず、最近この国では暑苦しい言葉が流行している。そういった言葉の多くは、論理性がなく、ただ感情に訴えかけようとしている。それが本当に感動的であればいいのだが、大抵は独りよがりの「ポエム」であることが多い。路上の若者やミュージシャンがいくら「ポエム」を叫ぼうとかまわないのだが、その「ポエム」化の波は自民党肝いりの「心のノート」、さらには改正憲法草案にまで及んでいた。

蘇った「心のノート」

・道徳副教材「心のノート」が復活することになったという。民主党政権時代の教材として配布することが停止されていた「心のノート」だが、「教育再生」を掲げる安倍政権の方針により、再び全国の小中学生に配られることになったのだ。

J-POP歌詞の劣化コピー

・どれだけ保守色の強い道徳教材なのだろうとひやひやしながら「心のノート」をダウンロードしてみた。驚いたそれが想像とはまるで違うものだったからだ。よくいえば、J-POPの歌詞風のメッセージ集。悪く言えば、多様だが感性や人生経験の足りない中学生が寝る前に書いたポエムノート。

・このポエムは、J-POP歌詞最頻出ワード「何か」「誰か」をきっちり押さえている。90年代に小室哲哉たちが中心になって開発した手法だが、固有名詞を避けながら、共感を呼びそうな心理描写をできるだけ抽象的に行う。そのために「何か」や「誰か」は必須の言葉だ。

「心」への過剰な期待と警戒

・「心のノート」は総じて「心」に期待しすぎなのである。「心」さえ変えれば、少年犯罪はなくなるし、学級も崩壊しないし、いじめや不登校もなくなる。もしそれが本当ならば、そんなに経済的なことはない。軍隊はもちろん、警察さえも必要ないということになる。まさにユートピアだ。

・「心のノート」や道徳今日に肯定的な人は「心」も期待しすぎだし、良識派知識人は「心」に警戒しすぎである。道徳教育が恐れるに足らないことは、戦前の修身が示しているとおりだ。本当に誰かの「心」を変えようと思ったら、それは「心のノート」を通じた全国一斉教育などではなく、人と人との対話に期待するしかない。抽象的なポエムではなく、具体的な体験によって、「心」はきっと成長する。

憲法改正草案はJ-POPである

・「心のノート」の復活に熱心な自民党だが。驚くべきことに彼らが2012年に作った「憲法改正草案」もまたポエムのようなのだ。ポエムというか、やはり90年代J-POPにそっくりなのである。

・これら改正草案は戦争への布石であり、近代立憲主義の否定だと批判する人たちはいる。しかし、僕にはどうしてもこの憲法草案が、自民党の高い理想のもとに起案されたものだとはとても思えない。そこにあるのは、90年代のJ-POPのような「このままではダメだ」「退屈と平和に甘んじてはいけない」「何かしなければならない」という何となくの危機意識ではないのか。

「あなた」不在の日本国

・「とにかく今の憲法が気にくわないんだなあ」という熱意は伝わってくる。だけど、改正草案から具体的なビジョンは見えてこない。フランスのように自由、平等、博愛といった建国の理念があるわけではない。アメリカが唱えるよう自由と民主主義のように、世界へ流布させたい価値観があるわけでもない。現状の憲法になんとなくの不満があるだけなのだ。

・もっとも具体的なビジョンがないのは、何も自民党が悪いわけではない。なぜならば、今の日本にはJ-POPにおける「あなた」がいないからだ。それまでの人生を何もかもかえてくれるような「あなた」。これからも共に歩んでいこうと思える「あなた」。そんな「あなた」はどこを探してもいない。

独立も革命もなかった国で

・多くの近代国家は建国の理念を持つ。それは抽象的に想像されたフィクションというよりも、各国の具体的な歴史的経験に根ざしていることが多い。

・日本は本格的な革命の記憶も、独立の経験もないために、国家的な理念を持ちようがなかったのだ。自民党の憲法草案に「あなた」という「大切な何か」が不在なのは、そのためである。しかしそれは悲しむべきことではない、大量の犠牲者を出す革命も起きず、植民地支配も経験しなかったことは、日本の歴史がそれなりに幸福だったということである。

憲法で国の姿は変わらない

・J-POPが「退屈」を歌っていた時代から15年が経ち、日本の社会状況はだいぶ変わった。少子高齢化は進み、個人消費も落ち込んでいる。「貧困」や「格差」という言葉をニュースで聞かない日はない。

・現代のJ-POPで、もはや「退屈」は主要なモチーフではない。仲間への感謝、日常の素晴らしさなど、より「閉じた」世界を生きる主人公たちが増えた。若者たちの生活満足度や幸福度も上昇傾向にある。そんな時代に、90年代のJ-POPみたいな憲法を掲げたところで、時代遅れではないかと思ってしまう。

・革命や独立に代わり、かろうじて日本における国民共通の呼べそうなものは、およそ70年間続いた「平和」意識くらいだ。良くも悪くも、治安が良く、平和であるという意識だけは国民の間で共通されている。だとすれば、「平和」意識から乖離した憲法が国民から受け入れられることがないだろう。

だから日本はズレている (新潮新書 566)より)

 

 

この章で印象的だった部分が、最後の「憲法で国の姿は変わらない」という部分です。

憲法ではありませんが、最近話題になっていることとして、集団的自衛権のことがあります。

 

自分はTVも新聞も全く見ないので、この集団的自衛権の議論が今どうなっているのかよくわかりません。そして自分の意見から言うと、どっちに集団的自衛権が行使可能になってもならなくても、どっちでもいいのかなと思っています。

どっちになってもいいというのは無責任だという人がいそうですが、もちろん自分も関心を持って自分なりの結論を持つべきであるとは思います。しかし、どっちでもいいと言うのは、どっちになっても日本人の生活には大きな影響を与えないだろうと思っているからです。

 

集団的自衛権を行使可能になったとしても、日本が戦争になるとは思わないし、行使不可能なままでもアメリカとの関係にこれからも亀裂が入るようなことはないだろうということです。

個人的には、国が国民の行き先を決めるということは、どんどん難しくなっているのではないかなと思っています。だからまあどっちになってもそこまで大きな影響はないのかなと思います。

 

このようなマクロ的な問題は、自分でも関心は持つべきだし、どっちでもいいというスタンスはよくないとも思っています。自分も高校生から大学1年くらいまでの時はめっちゃTV見たり、新聞読んだりして考えていました。

けど、今は無関心というわけではありませんが、情報を得ようと行動することはありません。関心はあるけど、そこに対して時間を割こうと思えないのです。

多分若い人の政治への無関心って言われていることはこういうことなんでしょうね。選挙とかにちゃんとは行ってますが。

 

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