これが今起きているパラダイムシフト! 「評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている」

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岡田斗司夫さん評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っているを読みました。

この本は最近自分が読んだ本でけっこう引用されていたので読んでみたのですが、情報化による社会全体のパラダイムシフトをとてもわかりやすく書かれていて非常に面白かったです。

 

貨幣経済社会の終焉

技術の進歩は社会を変える

・本来は技術や科学が変化すれば、それにつれて社会の価値観も変わるはずです。社会の価値観、という言葉は耳慣れないのですが、ここでは「何が良くて、何が悪いと人々が感じるか」というふうに考えてください。

・人々の価値観が変わると、社会のシステムも同時に大きく変わってしまいます。技術の進歩は人々の価値観を変え、社会システムをも変化させるのです。技術や科学が変化すれば、それにつれて社会の価値観も変わる、と言ったのはこういう意味です。

パラダイムシフト

・実際に未来を予測しようとする際に、最も大事なのは「今の時代と未来では、どんな価値観の違いがあるか」ということをはっきりと見極めることです。

・パラダイムに変化があれば、当然、社会システムや政治、経済、家庭、生活様式といったあらゆる部分に大きな変化が起こります。そういう大きな、社会を変えるほどのパラダイムの変化のことを「パラダイムシフト」と呼びます。パラダイムシフトによって起こる社会変化たるや大変なもので、農業革命、産業革命は人類に起こった最大のパラダイムシフトだった、と言われています。

ネット内のオカルト

・「21世紀は科学の時代」ではありません。「科学によって迷信が普及する時代」なのです。

・ネットが居場所を与えてくれると、こういうツッコミ情報もブロックしてくれます。誰かがうまい言い訳を考えてくれて、そういう情報にアクセスせずに「信じたい情報」だけを毎日見ることも可能だからです。ネットが「信じたい情報」を求める人たちの「気持ち」を加速するのです。

チープ革命

・梅田望夫は、このような「混沌としたウェブの中から一定の価値観や基準で情報を秩序立てるシステム」の構築・運営コストが飛躍的に低下し、社会の革命的変化=パラダイムシフトに結びつくことを、著書『ウェブ進化論』の中で「チープ革命」と呼びました。前述したように、パラダイムシフトとは価値観の変化を意味します。

私たちの内なるオカルト

・科学か、オカルトか。そんな二項対立ではないのです。あえて言葉にするならば、気楽な第三者として「それって、あるある」「不思議を信じる自分の気持ち、大事にしたい」といった軽い感覚といえましょう。 軽い、というと、どうしても真面目でない、といったニュアンスが入ってしまいます。しかし真面目でないのは、科学的態度というスタンスに対してだけです。 彼らとしては「気になる」とか「自分もそんな気がする」「おもしろそう」という“自分の気持ち”に対しては、極めて真面目な態度なのです。おもしろいと思うことを肯定する科学は良い科学、否定してしまう科学は悪い科学。

・その本質ではなく、“自分の気持ち”でのみ値打ちを計ろうとしている。自分の気持ち以下の値打ちしかない「科学」。 これが21世紀の科学像です。

最も大事なものは「今の自分の気持ち」

・価値観の中心が「今の自分の気持ちを大切に」なのです。こういった考えが主流になると、今まで考えられなかったような社会変化が起きます。また社会が変化すれば、構成員の変化にもますます加速度がつくでしょう。そして、私たち自身の心の中でも、この感性・価値観は変化しつつあるのです。

もう「豊かになることが幸福」が信じられない

・実は私たちは、科学技術の進歩で自分たちの生活が今より便利になったり、楽しくなったりするなんて楽観的に考えられなくなってしまった。コンピューター通信のユートピアを描いている点で、アルビン・トフラーの楽観的科学主義の限界もここにあるといえます。いえ、科学だけではありません。経済も同じです。

・若者たち、つまり私たちの心の一部はすでに、「豊か」が信じられない。だから、「破滅してもいいから楽しもう」というほどアナーキーなことを考え始めているのです。

価値観変化の中心

(1)社会全体が巨大な変化の時期を迎えている。
(2)そのため、従来の価値観が全体として明らかに破綻しつつある。
(3)変化している価値観を特定するために若者の嗜好を観察すると、価値の中心に「自分の気持ち」を置いていることが分かる。
(4)「自分の気持ち」が第一なのは、既存の価値観では、幸福が追求できないことが明らかだからだ。
(5)彼らや私たちの価値観変化の中心には、私たちを幸せにできない「科学」と「経済」への信頼の喪失があることが分かる。

・これらはみんな「科学の発達」が限界まで来たということではなく、「科学を使って私たちが幸福になること」が限界まで来た、ということなのです。 言い換えれば「もう科学に夢を持てなくなった」「もっと科学的になろう、合理的になろう、文明を発展させようという気持ちが消えてしまった」ということです。

では経済は死んでいないのか?

・「ちゃんと就職すること」「きちんと働いて稼ぐこと」「この経済システムの中に所属すること」という価値観がすっかり崩れている。

・2008年のリーマンショック以降、この傾向は顕著になりました。もはや誰も現存の経済システムを信じられません。誰も「働く理由」や「働く意味」を見出せなくなってしまいました。 「働く理由」「働く意味」が失われてしまうと、もう「とにかく最小労力で最大利益を上げること」が唯一の回答になってしまいます。

・「経済」も、その内部に「一生懸命働くことが、みんなの幸せにつながる」という価値観を含んでいないと、信頼を失ってしまうのです。

「評価経済社会」

・この感覚は、別に私たちが(特に若者たちが)人生経験が浅く、苦労を知らず、甘やかされて育って、社会の厳しさを分かっていないからではありません。むしろ「科学至上主義」「経済至上主義」の刷り込みが少なくなり、その分、新しい価値観の刷り込みが知らないうちに行われてきた結果、以前の価値観に執着しなくなっているだけなのです。

・「今、訪れつつある新社会。それを『評価経済社会』と呼ぶ。貨幣経済社会とは、社会の構成員が、その最大の貨幣的利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』である。それと同じく、評価経済社会とは、社会の構成員が、その最大の評価的利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』である」

 

パラダイムシフトの時代

農業以前の精神文化

・モノが不足し、常に我慢を強いられる始代人たちの文化は、モノよりも内面、精神世界へ向かいます。これこそが「たくさんある資材をパーッと使うのがカッコイイ、足りないものは大事にするのが立派なこと」という「人間のやさしい情知」の働きです。つまり、ひもじいながら有り余る時間を「思索」というきりのない作業に当て、モノに執着する心を蔑み、モノを使わないようにする、という考え方が生まれたのです。

農業革命と社会変化

・禍福はあざなえる縄のごとし。人間万事、塞翁が馬。農地が増えると、どこまでがだれの畑かといった揉め事が起きます。農耕をしない、他の狩猟民族たちが攻めてきて、せっかく蓄えた食料を奪っていったりもします。狩猟民族にとっては、食料とは戦って勝ち取るのが当然の正しいことなのです。しかし農耕民族にとって、それは最も憎むべき犯罪です。農耕民族にとっては、食料とは狩るべきものではなく、慈しみ、育てるものだからです。法秩序と、集団での武装や自衛が求められました。国家と法の誕生です。食料の新しい秩序を守るために、管理社会と身分制度が生まれました。

・農業社会の成立によって、管理社会と身分制度は必然的に誕生したのです。

・農業が発展して人々の生産力に余力ができると、今度は商業が発達しました。

封建社会の価値観

・一般庶民の価値観も、農業社会の発展につれて変化しました。この時代の人々にとって、一番基本になる考えは「身分」です。今の我々からは理解するのが難しいのですが、身分制度というのは「身分があるのが当然」という社会です。「自分は農奴だ」とか「自分は領主だ」とか「商人だ」という大変はっきりとした自分のポジションに、疑問を持たない。

・職業選択の自由、なんて発想はありません。「農奴」という身分があるからこそ、自分は社会の一員である、という(低いながらも)立場や保証が得られたのです。身分を持って生まれないのは、蔑むべき未開人なのですから。

引き返せない楔

・いったん変わってしまうと元に戻れない。このような社会変化を、トフラーは「引き返せない楔」と呼びました。

・引き返せない楔を打ち込まれた社会は、確実に新しいシステムヘと移行します。農業時代の人々は、もう狩猟時代には戻れません。それどころか狩猟生活をしている人たちのことを、理解できなくなってしまっているのです。

・システムの変化は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会全体を変化させます。これが農業革命の時に起こった、パラダイムシフトなのです。農業革命によって生まれた身分制度は、新しい社会制度ですが、同時に全く新しいパラダイムでもあるのです。

「モノ不足・時間余り」の中世

・次に訪れた中世文明は、人間のやさしい情知によって選び取られた「モノ不足・時間余り」という、新しいパラダイムの時代となりました。

・エネルギー危機を感じ取った古代人たちが「モノの豊かさではなく心の豊かさ」を求めるようになったからだ、ともいえるでしょう。

・中世は極端な「モノ不足・時間余り」の時代だったのです。「不足するモノを節約し、有り余る時間をいっぱい使う」生き方として中世の人々が尊敬し、あこがれたのは「清貧な思索家」です。

「科学」はキリスト教から生まれた

・なにが潤沢で、なにが不足しているか。これが切り替わってしまうと、社会は大きく変化します。ふたたび、パラダイムシフトの時が迫ってきました。産業革命によって「モノ余り・時間不足」という古代と同様の状況が、よりバージョンアップして急スピードで起こりました。一時的に飽和状態に見えた工業化は新大陸への展開によって、あらたな「市場」と「資源」を得ました。

中世社会の崩壊

・教会の力も弱まりました。人々は祈る時間を削って働くようになりました。施しのお金を削って次の事業に使ったり、新しい工業製品を買うようになってしまったのです。人々の考え方も大きく変わりました。まず今までは、悲しいことも嬉しいことも生まれや育ちも、すべて「神様の思し召し」という考え方でした。それが、「なぜ」という科学的・合理的思考法に変わったのです。

・合理的思考法が幸せだけをもたらすとは限りません。世の中のあらゆる不都合にはすべて原因があって、きちんと観察し、思考し、実験すれば必ず特定でき、把握できるという考え方は、逆にそうしなければならないというプレッシャーを私たちの心に与えることになりました。

民主主義・経済主義を生む「科学」

・民主主義も貨幣経済も、人間とか利益、富といったものを一律に定量的にとらえて考えようという、とてつもなく大胆な発想から生まれました。キリスト教時代では、とても受け入れられそうにない「罪深い」アイデアです。

・民主主義はみんな自分がどうあるべきか、という自我が確立しているという前提に立つ発想です。つまり、何が自分にとって損か得か、自分は社会に対してどういう態度をとっているのかを、きちんと把握できるのが市民なのです。

・貨幣経済もまた、定量化という科学的発想から成っています。こちらはすべての「モノ」を、円やドルというお金の単位に換算しよう、という考え方です。「モノ」は食べ物、服といったものそのものだけでなく、労働力やサービス、権利といった目に見えないものまで、考えられるあらゆるものが含まれます。

近代のパラダイム

・システム化した身分制度は崩壊し、常に平等のチャンスを要求する「市民」が誕生します。変化は常に「良いこと」になり、宗教は廃れて、他人を出し抜くのが正しい生き方になったのです。その代わり、だれもが「豊か」になる権利が与えられました。

・産業革命は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会を民主主義、経済主義へと変化させます。これが産業革命の時に起こった、パラダイムシフトです。

・近代のパラダイムとは、モノをもっとたくさん作り出し、もっとたくさん消費することをカッコイイと感じ、時間や人手を節約し効率を上げることを正しいことだと感じる、という方向でかたちづくられています。

・人々はもっとモノをたくさん使うためにもっとたくさんのモノを作り、それで得たお金でもっとたくさんのモノを買いました。これが近代のパラダイムです。

近代人の苦悩

・自分がどんな自分であるかは、自分自身で考えて決める、他人まかせにはしないというのが、現在の当たり前の考え方です。自分で決めるといっても、その時その時で好き勝手をやるというのではありません。自分はどうあるべきか、自分にとってなれそうな立派な自分とはどんな自分かを考え、それを目標に頑張るということです。

・幸福の追求とは、神が与えてくれるものではなく、個人が目指す「責任」になってしまった。「不幸」とは本人の能力や努力不足が原因であり、これまた当人の責任になってしまう。

・「神様が決めた通りに生きる」という枷がなくなったぶん、一人一人が自発的に立派であってもらう以外、社会秩序を保つ方法は一つもないのですから、当然のことでしょう。

・みんなが豊かさを目指せる社会、とはもう一つの意味を含んでいます。豊かでない自分は負け犬である、ということです。

ネット中世

・今や近代工業化社会のパラダイムは急速にシフトしつつあります。そこで基本になるのは、「モノ不足・情報余り」の思想であることに間違いありません。物欲や金に惑わされるのをみっともないと感じる。モノに関心を示さないのを立派と感じる。精神世界を大切にし、科学よりも抽象的芸術を愛する。こういった、中世とよく似たパラダイムを持つ新しい時代を私たちは迎えつつあります。

・「ネット中世」とは、双方向に開かれたデジタルネットワークの成立によって始まる世界です。その世界では、人々は自己実現・自己発表のためにめまぐるしく動きながらも現実の世界ではモノを消費せず、あまり動いたりせずに資源の消費をしないように努めます。

新しいパラダイム

・今起こりつつある新しいパラダイムは「モノ不足」、つまり「資源・土地・環境に対する有限感」から成り立っています。いかにモノを使わないか、いかにモノを作らないか、が重要な社会ともいえます。そこでは土日も働くお父さんは、みっともなく見えてしまいます。

・そんな彼らを、お父さんたちは「いつまでも大人になれない」と怒ります。本当にそうでしょうか。ひょっとしたら彼らは「別の形の大人」になろうとしているだけ、とは言えないでしょうか。

唯一無二の自分

・現代の私たちは、自分のことを「唯一無二の自分」と考えています。「自分にとって自分は何ものにも代え難い、大切な存在」なのです。と同時に「自分にとってのみ、自分が何ものにも代え難い存在」なのであって、「他人にとっては大勢の中の一人」でしかないことも知っています。だからこそ、「自分らしさ」を大切にすることと「自分の気持ちを大切にすること」が、なににも増して重要だと考えるのです。

・「みんなと同じ人間」の私は、だからこそ自分自身で生き方を決めなくちゃいけない。それがみんなとの違いであり、生きてきた意味なんだ。結構、堅苦しい考え方です。当然、ノイローゼになる人も大勢出ました。これが「近代的自我の呪い」というやつです。

・「人間はみんな同じである」という客観的な考え方は、「自分は他の人にとって大勢の中の一人にすぎない。でもいいや」という主観的な認識に転換されました。つまり、あきらめたわけです「あるべき自分の姿を確立する」という現実的な考え方は、「自分の気持ちを大切にする」「自分らしさを大切にする」という精神的・内面的な問題になりました。つまり、逃げたとも言えます。

・実際の中世と現代の違いは、大まかに言って以下の三点です。
一つ目は「ネットによる情報余り現象」。情報を消費するためのデジタルネットワークにより、毎年1.6倍ずつ情報そのものが増えていきます。しかしその目的・使用法は、これまで考えられた“ビジネス”ではなく、人間関係が中心となる“コミュニケーション”です。
二つ目は「唯一無二の自分」という自己認識。つまり「自分の感覚・趣味性を最大の価値とする」ということですね。
そして三つ目は「一生、お勉強」という気持ちです。

 

評価経済社会とは何か?

・私たちの考えは、時代や常識に強くバイアスをかけられています。そう、私たちが自由意志と呼んでいるものは、いつも誰かや何かの「影響」を受けた結果なのです。

「影響」とは何か?

・「影響」とは「多くの人々の価値観を、ある一定方向へ向かわせようとすること」として、広義の意味で考えてください。

メディアの影響力

・マスメディアに影響を受け続けるうちに自覚症状のない中毒症にかかり、おまけにそれを正当化しているのです。

・メディアはマスメディアだけではありません。双方向性メディアであるネットと二つそろって、その影響力は過去に例がないほど絶大になりました。

「高度情報化社会」の正体

・情報化社会の本質とは、 「世界中の小さな事件の客観情報まで入ってくる社会」ではありません。「大きな事件の解釈や感想が無限にあふれ出す社会」なのです。

・「高度情報化社会とは、情報の数が増えることではない。一つの情報に対する“解釈が無限に流通する”社会である」

ポスト軍事力としての「影響力」と「評価」

・現在の社会ほど、自分という情報に対する解釈、すなわち「自分は人にどう思われているか」という「評価」が重要な社会はありません。

・「影響力」すなわち「評価を生み出すチカラ」

・現代のような情報化社会では、A国対B国という単純な戦争は起こり得ません。A国とB国、どちらの方が軍事力があるか、経済力があるか、という問題よりも、どちらの方が評価が高いか、の方が重要な問題となります。それはすなわち、A国・B国以外の世界中のあらゆる国が、どちらにつくかということを意味するからです。

メディアの本質

・一般にメディアの本質は「意味の伝達だ」と言われています。が、これは大きな間違いです。確かに、メディアには「意味を伝達する働き」があります。が、メディアの「本質」という点で考えれば、「意味の伝達」ではなく、「意図の強制」だととらえるべきです。

・つまり言葉の本質とは「影響」なのです。

・コミュニケーションはすべて意図の強制、影響を目的としていると言えます。すべてのコミュニケーションとは、影響行為でしかあり得ないのです。

「報道主義」というイデオロギー

・ジャーナリズムは、一見「事件」などの情報を流し、「意味を伝達」しているかに見えます。しかし実際は「こんな大変なことが起こった=この事件は、みんなにとって大事なことだと思え」という、意図の強制を行っているわけですね。その結果、私たちにとって新聞を読み、ニュースを見るのが常識になってしまいました。つまり、「ジャーナリズムの必要性」を洗脳されたのです。

「評価経済社会」

・近代に誕生した巨大で効率的な影響装置、それがマスメディアだったのです。が、現代はそれが大きく変わりつつあります。メールやブログ、 twitter といった双方向発信の電子ネットが、マスメディアに代わって大きな位置を占めています。

・ネット内では誰もが情報発信者、つまり影響を「与える側」になり得るし、同時に誰もが「受ける側」でもあります。みんながそれぞれ、人に影響を与えるために情報を発信する。情報を受け取った側は、「情報」だけでなく「価値観」も同時に受け取って、影響を受ける。その結果、「受けた側」は「与えた側」を評価します。「評価」と「影響」をお互いに交換しあう社会。これを、私は「評価経済社会」と名付けました。

・貨幣経済社会とは、貨幣を仲介にして「モノ」「サービス」が交換される社会です。同じように「評価」を仲介として「モノ」「サービス」、そして「カネ」すらも交換される社会。それがこれからの社会であり、いま私たちの足下で起きている社会変化のポイントなのです。

貨幣から評価へのバトンタッチ

・近代が貨幣経済行為が自由になった社会であるのに対して、現在、新しく変化しつつある私たちの社会とは「影響行為・洗脳行為が自由になり、個人に開放されつつある社会」なのだと。

「洗脳装置」から「影響/評価装置」へ

・マスメディアの異常発達によって引き起こされた「情報余り」の状態が、単一価値観を保つことを不可能にしてしまいました。 「第三の波=情報革命」によって引き起こされるのは、単一洗脳システムの崩壊であり、マスコミ独占洗脳体制からの解放です。そしてこの解放を具体的に支えるものこそ、マスメディアを破壊する「電子ネット」、つまり双方向影響装置です。

評価経済社会の勝者

・近代を「誰もが豊かになるために競争する社会」と表現するなら、これからは「誰もが他人に影響を与えることを競争する社会」といえるでしょう。近代の貨幣経済社会が弱肉強食であり、新陳代謝することによってバランスが保たれるのと同様、来るべき評価経済社会も弱肉強食であり、新陳代謝することは避けられない必然です。

・現在、様々な商品が様々な年齢や生活水準の人のために存在するように、様々な価値観・世界観が様々な人々の要望に応えて存在する世界。それが、これからやってくる評価経済社会のリアルな姿です。みんなテレビを見て社会から遅れないように、また、はみ出さないように気を使っていたのが、自分なりの常識で世の中を動かそうとしのぎを削る社会になるわけです。といっても、みんなが好き勝手に行動するのではありません。具体的には「ボクの周りではみんなこう思っている」とか「今自分が注目しているあの人がこう言った」といった、様々な価値観を複数選択して組み合わせ、自分なりの価値観をつくり出すことになるでしょう。

評価資本に基づく「影響力」のある企業

・「前時代のパラダイムにおける価値は、次代のパラダイムの価値に従属する」

・お金で評価を買うことはある程度可能です。しかし、その交換レートは常に「評価>貨幣」であり、この点で、前時代の貨幣という価値は次代の評価という価値に従属するのです。

・巨大な資本で人やモノを買収する代わりに、強力な「影響力」で人やモノを動かす。これからの「モノ不足・情報余り」の社会は、お金よりも「評価(イメージ)」、つまり「影響力」によって物事が動きやすい時代なのです。

未来企業を左右する「評価資本」

・これからの企業にとって、生き残るために最も大切なことは「影響力」です。  現在でも、企業ごとに「影響力」には大きな差があります。また、人々の心に潜在するイメージも会社によって違います。  私はこれを、従来の貨幣経済の資本に対して“評価資本”と名付けてみました。

・これからの企業は、評価資本がなければ誰も雇えないし、仕事も取れないし、商品も売れない、株すらも売れない、という状況になります。「影響力」というのは、CIやブランドイメージではありません。あえて言うなら、会社のキャラクターやイメージリーダーという感じでしょうか。したがって、単純で具体的であることが大切です。

・評価で儲けたお金でお金を増やそうとして、お金も得られず評価も失ったSONY。評価で儲けたお金をさらに評価獲得につぎ込んで、評価とお金の両方を得たApple。

評価資本の投資と回収

・スタッフやサポーターの数は、当然その企業の洗脳力に大きく左右されます。イメージリーダーが一声かければ何人のボランティアスタッフがどれだけ働くか、何人のサポーターがどれだけ買ったり参加したりするか、これがその企業の評価資本です。

・評価資本は現状維持してると、確実に目減りします。自分が一生懸命手伝っているのに、相変わらずでは、人は離れてしまうからです。

評価経済社会での消費行動

・これからの消費行動は、どんどんサポーター的要素が強くなっていくでしょう。つまり「モノを買う」「お金を払う」という行為が、自分の欲しいものを手に入れるためや、自分の望むサービスを受けるためではなく、自分が賛同する企業やグループ・個人を応援するためになされることが多くなる、ということです。

・それぞれの人の気持ちの中でも、より自覚的・意図的に「○○を応援するため」「○○を育てるため」と考えて、お金の使い方を決めるようになります。そういうサポーター的お金の使い方がカッコいいと考えられるようになり、逆に、自分のもの欲しさにお金を使ったり、どこをサポートしていいか分からなかったりすることはカッコ悪いことになります。

望まれる企業像

・これからの企業は、「なぜ」これをしなければならないのか、という価値観・世界観を明確に示す必要があります。同時にその価値観・世界観に賛同するに人は、こういうふうに力を貸してくれ、と具体的に提示する必要もあります。そして、力を貸してもらえたら今度は貸してくれた力によって何ができたのか、きちんと報告しなければなりません。

・価値観の提示、具体的要求、成果の報告。  この三つがそろって初めて、評価資本は増大します。消費者がサポーターになる、とはこのようなことなのです。

「政治の意味」の減少

・何よりも重要なことは「政治」というものの意味・関係全体が薄くなって、政治がどうなろうと私たちの幸せにほとんど影響がなくなる、という点です。

 

評価経済社会とは何か?

評価経済社会のキーワード

・評価経済社会での「個人のふるまい」には特徴が三つあります。
1.他人を、その価値観で判断するということ。
2.価値観を共有する者同士がグループを形成するということ。
3.個人の中で複数の価値観をコーディネートするということ。

価値観で判断される個人

・評価経済社会ではどの価値観や世界観を選んでいるかで他人を測ります。 「子供の早期教育にすごく熱心だ」とか「犬を飼っていて、ものすごくかわいがっている」「無農薬野菜を共同購入している」「UFOマニアで、いつもヘンな本を持って歩いている」「ろうけつ染めとウクレレと中国語とヨガのカルチャーセンターを掛け持ちしている」といった感じです。 「モノ不足」の時代ですから、その人の外見ではなく中身で分類しようとする方向へ向かうわけですね。

・私は「どんな価値観を選ぶか」と言いました。 「どんな価値観を持っているか」とは言いませんでした。それは評価経済社会において、価値観とは自分独自のものを持ったりするのではなく、消費者として選ぶからだ、と考えているからです。貨幣経済社会において、大多数の人は消費者です。これと同様、評価経済社会においては大多数の人は被影響者、つまりイメージ消費者なのです。ですが、評価経済競争社会といっても、別に誰かに一方的に影響され続ける恐ろしい社会というわけではありません。貨幣経済社会が誰かに一方的に買わされ続けているわけではないのと同じことです。私たちが生産者側に回れるのと同じく、その人がやりたければ影響を与える側にも回れるのです。

二次文化集団

・これからの評価経済社会では、会社であれ他のグループであれ、そこ独特のこういった価値観や世界観を持つようになるでしょう。そういった特殊な価値観を共有できる仲間を求めて、それぞれの人はグループを作るようになる、ともいえます(先ほどの私の会社は時代の先端の例です。当時は「オタク族」と呼ばれたりしました。が、現在こういった現象は特別珍しいことではありません)。そして人々は、個人の中で複数の価値観を共存させ、コーディネートして、複数のグループに所属することになります。このような集団をトフラーは「二次文化集団」と呼びました。

価値観並立の訓練

・今の若者たちや子供たちは、いくつもの価値観を持つ訓練を受けています。

・複数の価値観と他人への接し方が、個人の中で共存している。つまり人格がやや、分裂しているわけですね。「人並みに豊かにならなければ」という強迫概念が日本の現代病とするならば、多重人格は来るべき社会の現代病といえるでしょう。

非就職型社会

・機械の導入というのは本来的に「経費節減」つまり「人手(=人件費)のカット」を目的になされるものです。「機械がオラたちの仕事を奪う!」というのは、もはやギャグでも笑い事でもなくなってきています。

・生涯を一つの企業で働く、ということが特殊になり、休日や余った時間は他の団体で過ごすことが当たり前になるのでしょう。つまり子供たちと同じく、ビジネスマンも「それぞれが独自の価値観を持つ、複数の組織」に所属せざるを得なくなるのです。しかもそれらの組織は営利団体とは限りません。環境の変化は人間の認識に変化をもたらします。今現在も私たちは、多種多様な価値観と共存しながら暮らしています。私たちは否応なく「評価経済社会」への準備を進めているわけです。

TPOで使い分ける価値観

・ほとんどの人は、場合場合によっていくつかの価値観・世界観を使い分けています。つまり、矛盾した複数の価値観を同時に持たざるを得ない。

・これから社会の評価経済競争が進むにつれて、こうした価値観・世界観の種類はどんどん増え、細分化していくことになります。というのも、高度情報化社会の正体は、一つの事実を様々な価値観でとらえてみせるということだからです。つまり情報があふれている状況、というのは価値観があふれている状況だともいえます。

「近代的自我」の呪縛と現代

・近代的自我とは「神様なんか本当はいないんだ。自分たちの生き方は自分で考えるしかないんだ」という、近代になってから主流になった考え方です。

・「自分のやるべきことは、全部自分で判断しなくてはならない。それが自分の利益につながる。  だから君が現状に満足していないとするならば、それは誰のせいでもなく君の責任なのだ。君が『近代的自我』を確立していないから、自分のやるべきことが判断できないのだ。だから、もっと考えなくちゃいけない。  もっともっといろんなことを勉強して、新聞を読んで本を読んで、考えなきゃいけない」  私たちは知らず知らずのうちに、こんなことを教え込まれています。

・近代的自我というものを考えてみると、やはり前提に無理があります。少なくとも、近代的自我というのは近代の前期、つまり情報や知識の量がある一定程度しか流通していなかった時代でしか成立し得ない人間像だったのです。

・一人の人間の処理量をはるかに超えた情報の洪水状態になっている。それが情報化社会なのです。

・近代的自我の成立は、高度情報社会の到来により事実上、達成不可能となったのです。

情報化社会で求められる才能

・これから重宝されるのは情報の「整理屋」です。情報とそれについての膨大な解釈が氾濫する中、それを手際よくまとめ「情報+解釈」をパッケージで提供できる人間が求められ、評価されることになるでしょう。

・我々は、いつの間にか情報を自分で吟味して吸収・知識化するのではなく、要領よくまとめられた情報をブロック単位で入手し、それを自分の中でコーディネートするようになっているのです。

近代的自我から「キャラ」へ

・様々な価値観があふれる中で、自分の気分や状況、立場、好み等々によって、いくつかの価値観を選択すること。そして、同じ価値観のグループに参加すること。そうすることで、自分の中に新しい人格をつくって楽しむこと。これこそ評価経済時代の醍醐味といえます。

・ただ、統一的な価値観は成立し得ないとしても、全体を緩やかに整理し、コーディネートする整理フィルタは別に必要になります。実はそれが「キャラ(キャラクター)」なんですね。近代的自我とキャラは、程度の差こそあれ自分を統一する概念として一緒じゃないか、と思われるかもしれません。しかし、両者には決定的な差があります。それは、キャラは自分で設定可能であるのと同時に、人から貼られるものであるという点です。近代的自我もその形成段階で他者・外部からの影響を受けるかもしれませんが、その影響はそんなに大きなものではありません。逆にキャラは時にレッテル貼りのようにダイレクトになされますが、キャラが近代的自我よりも「緩い」ものなだけに、人格に与える影響は軽微です。

評価経済社会での「自分」

・自分の部屋は空間をコーディネートすることですが、自分の人生は時間をコーディネートすることです。どんな集団・組織にどれぐらい深く参加しているか、それ全体のバランスが自分だ、ということになります。グループ内でも全然違う立場や地位・役割を担っています。一つの集団・組織ごとに立場や世界観が違うわけですから、どうしてもこの人は多重人格じみてしまいます。

「自分の気持ち」至上主義

・こうした社会での行動力の源は「自分の気持ち」です。つまり自分の好き嫌い、合う合わない、おもしろい、やってみたいという気持ちなのです。この気持ちがなければ、コーディネートのしようがありません。だからこそ、今の若者のキーワードは「自分の気持ちを大切にしたい」というわけですね。

・自分の気持ちのはっきりしている人は、生き生きと暮らせます。いかにして、合法的に欲しいモノを手に入れるかと同様、いかにして社会の中で平和にワガママを通すかが勝負ともいえます。そのためには、自分のワガママを通す代わりに他人のワガママを認める、という考え方が必要です。自分の財産の権利を認めてもらうためには、他人の財産の権利を認めるという社会的システムが必要なのと同じことです。

評価経済社会を生きる人たち

・これからの人々は様々な価値観やセンスを持つ様々なグループと接したり、ネットで話したり、テレビで見たり、本で読んだりすることで、自分の心に必要な喜怒哀楽を取りそろえるのです。

・スカッとしたい、ほのぼのしたい、熱血したい、しんみりしたい、等々。彼らが「大切にしたい」と考えている「自分の気持ち」というのは、こういったものの総体です。この「自分の気持ち」の奥には、すべての人間の行動原理となる不安が隠されていることは言うまでもありません。それは孤独感であったり、疎外感であったり、劣等感であったり、といったどうしようもないものです。

・人間関係が目的別に分断されている評価経済社会においては、相手の全部どころか、他のどんなグループに属しているかを知ることすら難しいでしょう。それは同時に、自分にとっての「特別な人」という意味がどんどん薄れていくことでもあります。

・付き合いたい人とだけ付き合うという「ワガママ」が、いいことになるのです。 「人間らしい幸せな生き方」とは、ちゃんと自分に合った人たちのグループをいくつも見つけ、自分の時間をうまくコーディネートしている人のことです。同時にそういった人が周りから見ればカッコイイ人、自分を大切にする人になるわけです。

・私たちは、家族や会社・学校といった既存の安定したグループに所属していることを放棄しつつあります。その変化の中で、私たちはかつてのような人間関係を永遠に失いつつあります。しかしその結果、私たちは「何ものにも自分の人生を縛られない」という自由を得ることになるでしょう。

・私たちはこのように、かつて人々が親しんできた多くのものを失おうとしており、そして一方で、否応なく未知の多くのものを得ようとしています。同時代の誰も経験したことのないスケールの不安と不安定、とてつもない自由の真っただ中に放り出されている、と言い換えてもいいかもしれません。

 

新世界への勇気

・脱工業化・情報化社会という大きなことからバブル崩壊、非婚から就活まで、現在取りざたされている社会変化はすべて古いパラダイムの立場から見たネーミングであり、変化に対する違和感の象徴だといえます。

・現在のパラダイムシフトは「高度成長によるモノ余り感から、バブル崩壊や環境汚染による有限感・モノ不足感に、人々の意識がシフトしたことが原動力」です。そしてこれから確立するパラダイムは、「モノ不足・情報余り」の社会なのです。私たちは、歴史上でも珍しいパラダイムシフトに遭遇する幸運と不幸とを与えられたわけです。

・「情報余り」の情報が、単なる客観的情報ではないことを説明しました。つまり「情報余り社会とは、一つの事実に対する様々な解釈、様々な価値観や評価・世界観といった、イメージがあふれる社会」であること、すなわち「評価経済社会」であることを説明しました。

・日常生活において、影響を受ける側、つまりイメージ消費者である私たちは、多くのイメージや価値観の中から自分が気に入ったものを複数選択していること。価値観やイメージが増えれば増えるほど、同じ価値観を共有するグループが形成されること。私たちはそんなグループの中で、自分の価値観を基に複数選択して自分の生活をコーディネートしていること。こうした人間関係のフラグメント(細切れ)化は、これからもどんどん激化することを確認しました。

 

新版への付録

クラウド・アイデンティティー問題

・私はこの集合知は同時に「クラウド・アイデンティティー」という問題を生むと考える。  アイデンティティーがクラウド化する、つまり「自分とは何か?」「自分の考えとは何か?」という自我そのものが、どんどんとネットのクラウドの中に溶けていってしまうという問題だ。

・ネット社会にいる私たちにとっての“本音”というのは、誰の意見が自分に近かったっけ? とネット内を探すことになってしまっている。

・ネットの出現により、私たちは思考そのものを外注化(アウトソーシング)することになった。その結果、クラウドで考える「クラウド思考」になってしまった。ここまでは指摘する人もいる。でも、問題はこの先だ。するといつの間にか私たちは、クラウドにアイデンティティーを置くようになる。自分は今のままでいいのか?  自分の意見はみんなに認めてもらえるのか?  今の大学生や高校生が携帯を一時も手放せず、しょっちゅう友達と「繋がり合う」のは、彼らが、そして私たちが「クラウド上に自我の半分以上」を置いているからだ。

 

電子版オマケ「僕らは”評価経済”の高度成長期に入った」

・若い人はそこに気付いたので、オジサン世代が叱咤激励して、「上を目指せ」「カネ稼げ」といっても、ピンと来ない。本当に欲しいものは既に手に入れており、後は自分が社会に何ができるかという社会貢献の部分しか残っていない。

・でも今は移行期だから、しんどい。この20年間はすごくしんどいと思う。ただ、日本は世界に先んじて、貨幣経済の頂点であるバブル経済をやった後、ネットがいきなり普及して、若い人が働かなくなるという、評価経済に移行しつつある。その意味では、世界の先端を走っている。

・単純に好かれればいい。5人に1人が働く社会では、4人はぶらさがる。その4人は嫌われなければいい。喜んで奢ってもらえる人になればいい。「愛されニート」になる、ということ。しかし評価はどんどん変わる。だから悪いことはしてはいけない。楽園ではない。でも、かなりの人がおカネや仕事から自由になるという意味では、いい社会

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っているより)

 

最後のオマケの部分の全文は「僕らは評価経済の高度成長期に入った」 週刊東洋経済インタビュー ノーカット版掲載! – 岡田斗司夫なう。でも読めます。

 

この本を読んでみて思うことが、今起きている様々なことがこのパラダイムシフトの上に成り立っているということです。

ネットを中心として、〜マーケティングのほとんどはここでいう評価資本を獲得するものですし、CSRなども評価資本を獲得するものです。

また、若者の価値観の変化もここで述べられているようなことが実際に起きています。

 

これらのことは個別でまた後日色々書いていきます。

そして、この本を読んでいて思ったことの一番大きいことは、自分たちの社会はどのように今動いていて、どのように変わっているところなのかという、大きな流れを知るってめちゃくちゃ重要なことだと思いました。

実際に多くの本で述べられている考えや価値観の根底には、この評価経済社会の考え方があるのかなって思いますし。

 

 

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